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2010-04-25 (Sun)
今日は確か・・・尾崎豊の命日だったと思います。

彼が亡くなったのが、確か・・・26歳。
私もかなりショックを受けたひとりです。

実は、以前私は尾崎豊のプロモーションビデオの
仕事をしたことがあります。
初めてビデオでみた彼は、プールの中で溺れていました。
彼は、本当に溺れてしまっていたようですが・・・(汗

当時彼は、マザーエンタープライズという会社に所属していました。
ハウンドドッグ、THE STREET SLIDERS、レッド・ウォリアーズ等が
所属していた事務所です。
そして、亡くなったときはマザーから離れて独立していました。

青山学院高校を中退して、歌の道を歩むのだけど、
彼の歌に出てくる「僕」は生身の彼自身のことだったのだと思います。
だから、時代に関係なく・・・みんな通ってきた10代の自分と
大なり小なり、重なることがあって・・・
今でも、たくさんの人たち共感され、愛されているのではないでしょうか?


そして・・・私は彼の歌を聴くと、自分の中学時代を思い出します。

中学までは、私の成績はほとんどトップでした。
偏差値76を出したときは、慶応女子高校80%の合格率なんて、
代ゼミの全国試験で出たりして・・・中学の先生たちには
勉強に関して何も文句は言わせない状況を自分で作っていました。
友達の前では、勉強を全然していないフリをしていたけど・・・
実際は、毎日朝早く起きて必ず3時間は勉強をしていました。

学級委員長、生徒会役員、クラブの部長なんかもやっていた、
いわゆる・・・これだけ聞くと、優等生なのですが・・・
私は全然そのイメージには当てはまらない中学生でした。

学校では、いわゆる不良と呼ばれていた人たちが、
みんな友達で、今考えると・・・いろんなことやりました。><
警察にお世話になるかならないか・・・ギリギリのラインを
いつも通っていたような気がします。><
所謂、かなりの頭脳犯だったのかも知れません。

私の友人たちの中には、中学ですでに暴走族に入っていた子もいましたし、
補導暦、少年院、鑑別所に行った人もいます。

尾崎豊の曲にあるように、友人たちは真夜中学校に忍び込んで、
体育館のガラス全部壊してきたようなこともありました。

バイクを盗んで、無免許運転していた子もいました。

授業中にシンナー遊びに興じている子もいました。

運動会では、先生を殴ったり・・・教頭先生めがけて、
屋上からビールビンを何本も投げたり、
授業が、何事もなく終わることは一日もありませんでした。
刑事が学校に見回りに来ることもよくありましたし、
卒業式にはかなりの数の私服警官がいました。

みんな、学校のはじかれ者。
先生にすれば、目の上のタンコブでした。

そして、同じように私も目上のタンコブでした。
先生たちは、私がいたことでかなり何でもやり難かったと思います。
私はそれを楽しんでいるところがありました。


私の通っていた中学は凄く校則が厳しかったのです。
靴下は白のみつ折、前髪は目にかかってはいけない、
髪は肩に触れたら黒のゴムで結わく、
指定のブラウス、制服以外は着てはいけない、
冬にコートやマフラーを身につけるのダメ。
ジャージを着用してもダメ、そして、どんなに寒くても
セーターやベストなんか着れませんでした。
リップクリームを塗るのもダメ、カバンの厚みは15cm以上・・・。

私は何度か体育の先生に呼ばれ、
前髪が長いと保健室で切られたことがありました。
スポーツバッグに文字が入っているからと、
学校に入れてもらえなかったこともありました。
強引に入ったけど・・・(汗
成績はトップでも、通知表はいつも普通しかつけてもらえませんでした。

まっ、先生たちへの反抗は・・・そんな私のささやかな仕返しです。^^
可愛いものだったと思いますよ。
お昼の校内放送は、放送委員会の委員長である私の当番の時は、
その特権を有効活用して、いつもがんがんのロックばかりかけていました。
その時は必ず放送室のカギを全部かけて立てこもっていて、
先生たちに、放課後いつもおしかりを受けるのだけど、
ロックは文化だと言い切って、それをずっと押し通していました。
修学旅行の時には、男子の部屋でパジャマパーティーしたのがばれて、
先生に殴られたこともあったし・・・。
殴り合いのケンカの立会いをしたことも。(笑

ただ、私の男子の不良の友人たちはなぜか?まじめな女子に
人気があったので、いつも一緒に遊んでいた私は、
一部の女子からはかなり嫌われていたと思います。
色々とあることないこと、みんな先生に告げ口されていました。
女性の嫉妬は怖いです。><

そのかわり、後輩の女子にはかなり人気がありましたけどね(笑


ある日、表向きでは学校一番の悪(わる)と言われていた男の子
(裏の黒幕は他にいました・・・汗)と、
二人で町を歩いていた時、同級生のお母さんに会って
私は挨拶をしました。
その時、その友達のTくんは私にこう言いました。

「おまえ、俺なんかと歩いているの見られたお前も悪く見られるぞ。
 だから・・・・離れて歩こう。」

そういったTくんがどこか寂しそうだったのを今でも覚えています。

「言いたい人には言わせておけばいい」

そう言って、私はTくんと肩を並べて歩き続けました。

私の不良友達は、みんなそう言う子でした。

みんな根は、とってもいい子でした。
ただ、大人の作った学校と言う社会枠組みで、
とても生きていけなかっただけです。

そして・・・友人達の何人かは、
高校に進学した後、数日で中退しました。

数年後、Tくんが働いている料理屋さんに食事に行ったとき、
板前になったTくんが魚をさばいてお刺身を作ってくれました。
カウンター越しにその姿を見て、高校生だった私は凄くうれしかったのと、
社会人として一人前に働いているTくんをちょっとだけ・・・
羨ましく思ったことを覚えています。

お刺身は・・・もちろん、とっても美味しかったです。^^


尾崎豊の「15の夜」「僕が僕であるために」「卒業」「17歳の地図」を聞くと、
中学生の頃の、ストレートに生きていた私に戻れるような気がします。

私的には、「シェリー」が今は一番すきなんですけどね・・・。


尾崎豊よ・・・永遠に。

40歳になったあなたはどんな曲を作っていたのかな?



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